学ぶということは、
本質的には楽しいものであり
自分の知らないことを知る喜びがあるかぎり
苦痛にはならないものです。
ですが、学びが成長と結びつくとき
成長に伴う痛みが出始めます。
そこに成長せずとも現場で大丈夫という感覚が加わると
現状維持をしようとする気持ちが芽生えてきます。
受験というハードル!?
学びに苦痛が伴う場合、
現場では越えられない高いハードルが
目の前にあるということになります。
現場では越えられない。
だからこそ鍛えなければならない。
よって学ぶことで成長し、
そのハードルを超えていこうとする。
この一連の流れが受験というものです。
目の前に立ちはだかるハードルが
現状の自分より高ければ高いほど
学びによる苦痛は増していきます。
普段からちょっとずつでも高いハードルを
無理なく超えてきていれば、
現場で越えられるハードルも高くなっていたはずです。
しかし、そうではないからこそ
受験というハードルを越えるための成長痛は
激しくなるという訳です。
スイッチを入れるのは危機感!?
やる気スイッチなるものが存在するとは思いませんが、
仮にスイッチのオンオフがあるならば、
それは「危機感」に他ならないでしょう。
やる気に有無に関わらず、常に自分のハードルを
高めて超えていこうとすることが当たり前になっている者には、
やる気スイッチは必要ありませんから。
「まだ大丈夫。」
「自分ならできる。」
「できなくても問題ない。」
「超えられなくても死にはしない。」
このような感覚で日常を過ごしているのなら
なかなか、自分を成長させようと
学ぶことは難しいのではないでしょうか?
生活していくことは大変だということを「学ぶ」!?
保護者がいなくなり、
自分一人で生きて生活していくこと。
このことが大変で学ぶのは、
学校では教えてくれないことです。
では、どこで学ぶのでしょうか?
そうです。
家庭に他なりません。
家庭の中で家事を受け持ち、
責任を与えられ生きていくことを「学ぶ」。
段取りと計画と同時作業が求められる仕事は、
「家庭を作る」ということが最たるものです。
将来、家庭を作り
それを維持し守っていくこと。
これほど重要で、大変で、責任が伴うものはありません。
この一大任務を前にすれば、
子どもたちは自分の力がはるかに及ばないことが分かるはずです。
そのことに対して、危機感を覚えないとすれば
おそらく受験のハードルなどは
楽に超えていけることでしょう!
ぬくぬくと、何も考えず生きていけること自体は
本当に幸せなことで感謝なことです。
ですが、そのぬるま湯はあるとき突如として
煮えたぎる熱湯となってしまいます。
足元に、大事なことは転がっています。
どうか自分の将来への危機感を持ち、
生存本能を呼び覚ましてください!
ちゃん♪ちゃん♫
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校