今も昔も、
「頭を使わない」
「思考しない」
「考えない」
子たちは、子どもも大人も
ある一定数はいるように感じます。
もちろん、
人生においてという大きなテーマを土台にすれば
頭を使うことや考えることが
必ずしも正しいこと、良いこととは言い切れません。
しかし、こと学習をする上では
必要になることだと思うのです。
今日は、そんなお話です。
脊髄反射のように!?
数字を見れば、とりあえず
「足してみたり」
「引いてみたり」
「掛けてみたり」
「割ってみたり」
して、何も考えずに計算をする子たちが
毎年数人はいます。
小学生だけでは無く、
これも毎年一定数
小学・中学・高校生にいるのです。
残念ながら、考えないのは算数や数学だけではなく
どの教科においてもその傾向は変わらず、
「ア」と書いて間違えれば、
「イ」と書くという具合です。
それでどうにかなってきた、
ということが強化されなければ
その習慣は身につくことはないのでしょう。
そもそも、考えるとは何だ!?
ひらがなを読むときや、
九九をするときに
人は考えていると言われれば
必ずしもそうとは言い切れないような気がします。
頭を使っているようで、
瞬時に反応している感じです。
機械的に反射しているとでもいいましょうか。
野矢茂樹先生は、
「考えるとは、問うことだ」
と言いました。
だとするならば、
「考えない子たち=問いを持たない」
ということになります。
なるほど、そうだとするならば
「質問に来ない」
というのも納得となります。
疑問を持たないことが楽に生きること!?
問いを持たずに生活する。
確かに、疑問を感じず生きることは
楽であるように感じます。
しかし、パスカル大先生は
「人間は考える葦である」
と説きました。
この短い言葉には、さまざまな意味を含まれています。
例えば、以下の3つの意味が考えられるでしょう。
- 小さくて、葦のようにか弱い存在としての人間
- 脳によって思考力を持つ存在としての人間
- 考えて出した答えが、その人自身の存在を決定づける
たかが、受験勉強というものに
思考を使うということが馬鹿馬鹿しい
という考えがあるのならば、
その時点で思考をしていることになります。
むしろ、立派です。
たかが、受験勉強ですら
結果も出ないままの状態に
疑問も問いも持たず、
漫然と座って手を動かしているだけなのなら
学ぶ意味はどこにあるのでしょうか?
よく考え、よく笑って、
よく悩んで、よく動く。
泥臭く、人間らしく。
点数よりもまず、
人間らしく過ごして欲しいものです。
ちゃん♪ちゃん♫
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校
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