中学受験について

韓非の教え:人間の価値とは?

 

じゅくちょー
じゅくちょー

今もし目の前に、世界最高価値とされる

100億円相当のダイヤモンドがあったとします。

それに装飾品として、

100万円程度の装飾を施しました。

その宝石はどのように見えると思いますか?

今日のお品書き

『韓非の教え:人間の価値とは?

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ものの本質とは?

 

例え話です。

さて、100億のダイヤモンドは

自分の価値よりも遥かに低い宝石の装飾のため

世界最高の価値が安っぽく見える

ようになってしまいました。

 

装飾師は、手を替え品を替え

ありとあらゆる豪華な装飾を試してみましたが、

どれもこれも逆に安っぽくみえるばかり。

世界最高のダイヤモンドには、装飾は不要だ!

下手な装飾できらびやかになるものは、

元々の価値がそれ相応なものだと分かった!」

と。

 

韓非が伝えたかったこととは?

 

古典によって頻繁に引用される

韓非によって書かれた書「韓非子」

その中の一節です。

そもそも君子は、

内心を取り上げて外形のほうは捨て去り、

実質を好んで装飾のほうは嫌う。

あの外見の形に頼って内心を論ずるのは、

その内心が悪いからであり、

装飾を頼りにして実質を論ずるのは、

その実質がダメだからである。

どうしてそう言えるのか?

和氏の壁ほどの名玉は5色で飾ったりはしないし、

随侯の珠ほどの名珠は金銀で飾ったりはしない。

その実質が最高に立派であるから、

何物でもそれ以上に飾りたてることはできないのである。

そもそも、

装飾を加えてはじめて人前に出られるような物は、

その実質が立派でないのだ。

<韓非の著作とされる書「韓非子」より引用>

 

つまり韓非は、

「安い宝石は高い宝石で装飾すると高価に見えるようになる」

と説き、「人間もこの宝石と同じだ」と語っています。

君子(仁義に厚く道徳的な価値を重んじる人間)は

装飾するとより安っぽく見えてしまうもの。

だから君子は装飾しないほうがよい、

と約2200年も前の思想家は人々に教えていたのです。

 

ブランドが似合ってしまうと逆に?

 

逆に、徳が低く外見にこだわり

内面を磨こうとしない人は、

本質的な内面の稚拙さが露呈し

装飾を加えて人前に出たとしても

その本質が立派でないことを

自慢しているようなものである、

と韓非は痛烈に批判をしています。

つまり、

高価な装飾品が似合えば似合うほどに、

人間的な内面の価値が低い

ということになります。

 

よくブランド品を身に着け高級外車に乗り、

勝ち誇ったような顔している人がいます。

そういう人間は

「私は仁にも義にも見合わない人間です。

だからブランド品を身につけて少しでも

価値ある人間に見えるようにしているんです。」

と宣伝していると言えば

韓非子を拡大解釈し過ぎているかもしれませんね。

 

自分をブランド化する?

 

先週の東京出張で、東京の中学受験事情を

嫌というほど聞かされました。

自分の子どもをブランドバッグのように勘違いをし、

本人の望まぬ受験勉強を拷問のように課すことが

常態化しているような世界とのことでした。

もちろん、全員が全員そのような価値観で

中学受験を考えているわけではありません。

 

親も人間です。

何歳になっても自分自身の中に価値を見出し

自分を磨きその価値を常に上げようとする意志があれば

自分の子どもをブランド品のように考えることは

ないことでしょう。

 

100億のダイヤモンドも、

磨き上げ必要なカットをしなければ

ただの輝く石です。

もっと輝こうとする意志が備わることで

その価値は何百倍にも大きくなるのです。

あなたは、自分に価値を見出し

輝こうとする意志はありますか?

ちゃん♪ちゃん♫

 

たろー
たろー
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