じゅくちょーの雑談

本日は、告別式でした。

 

教会の姉妹である老婦人が召されました。

 

キリスト教式のお葬式は

 

「告別式」と言います。

 

天への凱旋する兄弟姉妹に

 

別れを告げるという意味合いです。

 

 

じゅくちょー
じゅくちょー
どーも、徳島国語英語専門塾つばさ、阿部でございます!

 

2019年度『つばさ』の授業日程は、ここからご確認できます。

 

5月2日(木)−3日(金)、『超集中24時間特訓・ターゲット丸暗記講座』受付開始!

 

 

友だち追加

 

ですので、

 

故人との別れは「寂しく」はあるのものの

 

「悲壮感」というものはほとんどなく、

 

花と賛美歌に溢れる、前向きなものとなります。

 

(実際は、めちゃ寂しいですし悲しいですよw)

 

英語圏で生まれる英文学には、

 

やはりこの思想が所々に散りばめられており

 

「ああ、一般日本人にはこのニュアンスは

 

なかなか伝わりづらいだろうなぁ」

 

というものも数多くあるように思います。

 

 

英語で行われる教会内の説教には

 

“shall” を肯定文で使うことが多々あります。

 

ブラックゴスペルの

 

“We shall overcome.” なんかは典型ですかね。

 

辞書には書かれませんが、

 

語源的なニュアンスは

 

「神が成し遂げて下さる」

 

「だから必ずこうなるのだ!」

 

といった強烈な宗教観を含む言葉です。

 

法律や憲法の中でも使われますね。

 

聖書を片手に宣誓する国ならではかもしれません。

 

 

“Shall I ~? / Shall we ~?” などの表現も

 

この土台を知っていると見方が変わります。

 

「(神がなすように命じられているから)

 

(私が)〜いたしましょうか?」

 

「(神がなすようにと命じられているから)

 

(私たちで)〜一緒にしませんか?」

 

もちろん、こんなニュアンスを持って

 

使う方は稀でしょうけどもねw

 

「神が成し遂げて下さる」の”shall” を

 

疑問形にすることも、そのニュアンスを

 

低減するのに一役買っているようです。

 

「成し遂げて下さるのですか?」

 

のニュアンスはかなり弱まりますよね?

 

 

“shall” の仮定法形として存在する

 

“should” もこう考えると奥深いです。

 

仮定法は「あり得ないこと」を伝えるために

 

「あり得ない=現実離れ→

 

現在時制から離れる=過去形で表す」文法です。

 

“shall 「神が成し遂げてくださる=100%」”

 

これを、あり得ないと言いたい→それは無い。

 

であれば、神でなければ人ならどうだ?

 

“should 「人の基準で行う=100%では無い」”

 

よって、「(人の基準で)〜するはず、すべき」

 

というアバウトな感覚も生まれてくるという訳です。

 

 

たとえ、AIの技術が進もうとも、

 

人が持つこのアバウトさや、

 

一見無駄であろう感情の揺らぎを

 

私は人間臭さや人間味として愛します。

 

たとえ、AIの技術が進もうとも、

 

効率やスピードでは無い、

 

ゆっくりと進む人間の思考や、

 

間違いだらけですすむ道草を

 

私は愛します。

 

 

悲しくはありません。

 

ただ、猛烈に寂しい今日この頃です。

 

 

じゅくちょー
じゅくちょー
それでは、今日はこのあたりで。失礼しま〜す!

 

 

じゅくちょー
じゅくちょー
Facebookもやってます!

 

じゅくちょー
じゅくちょー
Twitterのフォローもよろしくです!

 

たろー
たろー
Instagramでは、ボクも登場するよ!

 

 

友だち追加